2014年 発端

「Aちゃんの家に泊まりに行ってくるね」

 

それが嘘であることはすぐに分かった。

彼女は嘘が下手である。

 

僕は何か分からないけど、彼女の雰囲気の違いに敏感に気付いてしまう。

もっと鈍感だったらいいのに、とよく思う。

 

 

ぼくは裏づけを取る作業に入る。

そしてそれは、状況証拠として固まり始める。

 

 

それとなく、

彼女にも僕の雰囲気の違いが分かるように、

明らかにいつもと違うように、言う。

「今日泊まらずに帰ってきてもいいんだよ」

「ご飯の心配なんかしてないよ」

 

彼女は出かけていった。

僕は仕事へ行った。

出会い

彼女は年齢よりも若く見える。

僕も年齢よりも若く見える。

彼女は、僕のことをもしかしたら年下かも、と思っていた。

 

サングラスをしていた印象とは違い、

ふわふわした話し方の、話しやすい子だった。

 

旅先での予定なんかを話していると

共通なこともあったりした。

時間があれば、一緒にご飯を食べようとか

ツアーに参加しようとか、話した。

 

 

この旅で、僕は一人。

旅先が、一人旅の人が多いことは知っていた。

彼女もその話をしていた。

そんな出会いを多少は期待していた。

というか、期待していた。

 

ゲストハウスみたいなところに泊まって、

他の人と交流することも考えた。

そうすれば確実に何人かとは話すことができ、

一緒に観光したり、知り合いになることができる。

もしかしたら旅が終わっても付き合える友達ができるかもしれない。

 

でも僕は一人部屋の宿を取った。

ゲストハウスのめんどくささも知っている。

無駄にテンションの高い旅人、

なんでも知ったような態度の長期滞在者、

我が物顔の常連たちと僕が気が合わないことは容易に想像できる。

そこを乗り越える気はしなかった。

 

僕はゲストハウスを選べなかった。

それにより、旅の期間中、

深く人と交流することが起こらないことも予想してた。

 

 

それが覆りそうな予感がした。

こんなにも早く。

 

彼女は派手なネイルをしていた。

チャンスの神様

雑魚寝の船室でちょっとごろごろしてただろうか。

夕暮れ、海に沈む夕日が見られると思い再び甲板へ。

雨は上がっていた。

夕日を見る人で甲板はそこそこいっぱい。

雲に隠れて、しっかりした夕日は見られなかった。

それでも、全く何も無い海に沈む太陽はきれいだった。

 

日が沈み、夕日見物の人は再び船の中へ吸い込まれていって、

僕はそれに逆らって甲板の柵に張り付いてた。

太陽がどんどん消えてどんどん暗くなっていく海をずーと見てた。

太平洋に指輪を投げ捨てるつもりだったのに、

持ってくるの忘れた…とか考えてた。

 

暗くなる海を見て、いろんな事が思い出された。

いいことも悪いことも。

自分はいったい何なのかと、何で自分がこんなことになってるのか、と。

そんな気持ちにさせるのに夜の海は最適だ。

下を見ると海は真っ黒で、

船による白波が見えるくらい。

落ちたら絶対助からない。

 

そんなことを考えてるうちにすっかり暗くなって、

甲板の人もまばらになったとき、

彼女が後ろのベンチに座っていた。

僕は甲板の柵にうなだれて海を見てる。

彼女はベンチに座って、僕と同じ方向の海を見てる。

ベンチには他の女の子も座っていたけど、

二人が話をするような様子はなし。

 

その状況、どのくらい続いたのか…

もうすっかり真っ暗。

別の女の子は船内へ戻っていった。

僕はイアホンを外し、船のエンジン音と、周りの音に耳を集中。

彼女はまだ座っていて、動く気配はない。

 

僕の心がざわつき始める。

頭の中のS君が、

「これは、話しかけるべきなんじゃないのか?

昼間のこともあるし、向こうも僕のことは認識してるはず。

これは話しかかられ待ちだろ、話かけろよ。」

と言う。

もう一人のS君はこう言う。

「いやいや、無理だろ…

断られたら気まずいし、島で会うかもしれんのだよ。

何て声かければいいんだよ。」

 

結局、一人でごちゃごちゃ考えてるうちに、話かけれないままで、

彼女が船の中に入って行くんだろうな…

どうせいつもそうだ。

 

ふと空を見ると、もう星が出ていて、すごくきれいに見えていた。

星を見上げるように、海を背にして柵にもたれてみる。

彼女は動かない。

甲板の人はまばら。

 

中央の平らなベンチが空いてる。

 

中央のベンチに移動しよう。

S君が言う、

「話かけろよ、いいじゃん。」

わかった、中央のベンチに移動して、もし彼女が移動してきたら、声をかけよう。

そうしよう。

あくまで自然を装うとしている自分がアホあらしい。

 

僕はベンチに移動して腰をかけ、両腕を後ろに突っ張って星を眺める。

彼女をチラ見。

動かない。

 

星を眺める。

 

彼女が来た。

本当に来た。

隣のベンチに座ったのだ。

 

チャンスの神様。

 

チャンスの神様は、前髪しか生えていない。

チャンスの神様は、足がすごく速く、自分に向かって走ってくる。

すごく足が速いから、すぐ自分の目の前を通り過ぎて行く。

チャンスの神様を捕まえるには前髪を掴まないといけないんだけど、

すごく足が速いから、一瞬遅れるともう後ろ姿。

チャンスをつかめない。

目の前にきた瞬間に、前髪を掴まないといけない。

 

S君がチャンスの神様に手を伸ばして、

もう一人のS君は出てこなくなった。

 

 

「話かけていい?ずっと外にいるよね。」

 

「うん!」

認識

出航してから約3時間、

まだ遠くに房総半島が見えている。

 船って意外と遅いんだなぁ。

それとも房総半島が長いのか…

 

それでもしばらくすると陸地も見えなくなり、すっかり太平洋。

海は怖いくらいに真っ青で、

甲板は旅の始まり、船の新鮮さに喜ぶ人たち。

 これから誰かと話す機会はあるのだろうか。

一人旅のような人は結構いるようだけど…。

そんないつものように過剰な期待をしつつ、

どうせいつものように何も起こらないんだろうと思う。

 

 

実は船に乗る前から認識していた。

人で混雑していた待合ロビー。

だって目立ってたから。

黒のキャップにサングラスのお一人様。

 

船での過ごし方は人それぞれだけど、

ずっと甲板で海を眺めてる人。

おそらく船室で家族や友人と話している人。

雑魚寝の船室の向かいの仲の良い家族はそうだった。

昔のうちの家族旅行もあんなのだったかもしれない、とか思い出したりして。

 

15時か16時くらいになって、だいたいみんな船にも慣れて、落ち着くころ。

甲板でまだうろうろしてる人はだいたい決まってくる。

同じ行動パターンの人たち。

僕はずっと甲板にいた。

座って落ち着けるところを探してうろうろ。

船の甲板の最上階の中央にある縁側みたいなベンチには日光浴の人、座って話す人。

縁側みたいなベンチは人が多いから嫌だ。

 

たぶんそこに彼女はいた。

黒のキャップにサングラス、ワンピースにテカテカしたサンダル。

「別に…」

とか言いそう。

とても話しかけられるような感じではない。

たぶん他の人もそう思ってたと思うよ。

 

僕はまだ甲板をうろうろして、座るところを探してて、

何回か彼女の前を横切ったりしてた。

でもそんな人はたくさんいた。

僕も黒のキャップにサングラスしてたかな…。

 

中央のベンチからちょっと離れていて、

船の構造で陰になっていて、海に向かって並んでいるベンチが空いたので

僕はそこに腰掛けた。

球場とかの観客席にあるようなベンチは4脚くらい並んでいて、

海に向かって僕一人。

落ち着く。

結局、一人でこうなるんだよね、と。

でもそれは特に悲しくもない。

iPod出してイアホンして、

始めに何聴いたかは覚えてない。

全然読み進まないサン・テグジュペリの小説を開いたりして。

 

 

ふいに、

左側一個を空けたベンチに誰か座った。

彼女だった。

その時彼女はサングラスしてなかったかな、どうだったかな。

わざわざ、ここに座りにくるか?と思ったけど、

何も気にしないふり、小説読む(ふり)。

何も話かけはしない。そぶりも見せない。

当然彼女も何も話しかけて来ない。

彼女も本読み出していたかもしれない。

そんな時間が、数分続く。

 

その時、小説が濡れて、急に大粒の雨が降ってきた。

甲板の人たちはみんな屋根の下へ逃げる。

僕も彼女もベンチから立ち上がり走って甲板から降りる階段へ。

もちろん何も話さない。

雨は強く、甲板から船内へ入る。

 

雨に濡れた人たちでばたばたしてて、いつの間にか彼女を見失ってた。

トイレ行って、船室に帰ろうかと思い中央階段へ出た時、

反対側に彼女がいた。

彼女もこっちを見た、と思う。目が合っただけ。

もちろん何も話さない。

遠い距離ですれ違い、僕は雑魚寝の船室へ戻る。

 

サングラスを外していた彼女は、意外と穏やかな顔をしていた。

雨はすぐに小雨になり、虹が出ていた。